心の薬
むかし見た変な夢をストーリー仕立てにしてみました
奇妙な麻薬のようなものが密かに流行っている。
俺は捜査官。すでに調査を始めて2週間が過ぎようとしていた。いくつかの些細な情報をもとに、今夜ひらかれるという秘密パーティーの場所と時間を入手した。やっと掴んだチャンスだった。念には念を入れて、幾重にも偽の身分を証明する工作をほどこした。潜入調査のためだ。
夜、迎えの車に乗り込む。長めのリムジンの中にはすでに3人の男がすわっていた。誰も喋らない。不思議な緊張感が車内を支配している。
やがて、倉庫街の一角に停まる。皆に続いて車を降りると、長い地下へとつながる階段をくだる。ドアをあけると、40人ほどの男女が集まっていた。部屋は薄暗く、飾り気のないレンガ造りの空間にいくつかの間接照明が取り付けられている。俺はゆっくりと中へ進んだ。
「はじめまして」
隣の男が女に声をかける。
だが女はチラッとそのその男を見ただけで
「挨拶はなしの約束よ」
と背を向けてしまった。
皆、今日はじめて会ったばかりのようだ。
「そろそろはじまるな・・・」
という男の声がすれ違いざまに聞こえる。
すると、奥のドアが開き、1人の女が現れた。女はユウと名のった。黒のタイトドレスに身を包み、片手に水のような液体が入ったグラスを持っている。
「さあ・・・」
女が声をかけると、静寂が訪れた。
そして、女の背後からワゴンを押した初老の男が現れ、皆にグラスを配っていく。俺もそのひとつを手にした。
「真の幸せを・・・」
皆がいっせいにグラスの中身を飲み干す。
俺はそっとポケットの容器の中にサンプルを移し、残りを口に流し込んだ。
それは水だった。
どういう変化がおとずれるのか、体のすみずみまで神経をいきわたらせる。
1分、2分・・・だが何も起きない。
周りをみまわたすと、隣り合った男と女が軽いキスを交わすと、その場にすわりこんだり、手をつなぎあって壁にもたれかかったりしている。今日はじめて会ったはずなのに、心の底から愛しているかのようにふるまっている。
「ちっ、どうなってるんだ・・・」
体にはなんの変化も起きてはなかった。それはまずい予兆だった。たぶん捜査官だということがばれていて、なんらかの方法で俺のグラスにだけ薬を入れなかったにちがいない。
見つからぬよう、そっと部屋を抜け出そうとする。だが入ってきたドアには鍵がかけられている。
その時、ユウと名乗った女が奥の扉に消えるのが見えた。俺は怪しまれぬよう身をかがめながら、そこまで移動し、ゆっくりと体をすべりこませた。
静まり返った薄暗い長い廊下。
気付かれぬように足音を消してゆっくりと歩く。
すると突然、影になっていた暗闇の中から黒いものが飛び出す。
ユウだ。
驚きで一瞬体のこわばった俺に、彼女は軽いキスをした。
「なにをするんだ・・。」
ユウは何も答えず微笑みかける。
その時だった、体の中に不思議な感覚が満ち始めた・・・
俺はユウを完全に愛していた。
これまで人を純粋に愛したことはなかった。そんな俺が、真のパートナーに出会ったような高揚感と幸福感を覚えている。完全に満たされ、そしてユウに自分をすべて捧げたいという気持ち。
ユウも俺と同じ気持ちになってくれているのが、その目からうかがえた。
「愛してる」
その言葉は自然にでてきた。
「私も愛してる・・・」
ユウが微笑みながらつぶやく。
手をつなぎ壁によりかかる。
2人の時間。そばにいてくれるだけで、なにものにもかえがたい幸せが訪れる・・・
こんな気持ちは、はじめてだった。
次第に意識が遠のいていく。いや、そうではなかった。
2人の心が融合していく。
静寂と暗闇の中、入り組んだ迷路のように、精神のつながりが広がっていく。喜びが時間を越える・・・
そして、俺は気を失っていた。
Illustrated by K.Fujisaka
数時間後―――
忘れたくなかった夢からさめたような気分で、俺は目を覚ました。
そこは、捜査所の長椅子だった。
事務の女の子が、俺に気付き軽くウィンクしてくる。現場に1人倒れていたところを発見され、ここに運ばれ寝かされていたらしい。
ドアが開き、同僚の薬物検査官が近づいてくる。俺はゆっくりと体を起こした。
「だいじょうぶか?」
差し出されたコーヒーを受け取り、ひとくち飲む。
「ああ。俺はどうしちまったんだ?たしか水を飲んで・・・」
「サンプルを調査したよ。」
「えっ?あれはいったい?」
「まだ分析中だが、どうも口づけをすることで作用する、興奮剤のようなものらしい。」
「キスをすると?」
「ああ。特に害はないようだ。成分は単純なんだが、どうやって作用するのかわからない。でも、いずれにしても非合法なものではないよ。」
その時、廊下を曲がり、ユウが現れた。後ろに同僚の捜査官が付き、連行している。
2人は俺の目の前まで歩いてきた。
「釈放だよ。」
俺に気付いた捜査官がつぶやく。
「特に違法な薬ではないらしい。それに、誰かに危害を加えたわけでもない。」
「どうやってつくったんだ?」
薬物検査官が興味深そうにユウにたずねる。
「天使のつくった水・・・」
そういうとユウは俺に突然キスをした。
「なにをする・・・」
動揺した俺を、またあの感覚が襲う。
愛しいものにだけ向けられる感情。
俺は、手元のコーヒーを見た。
「まさか、これに・・・?」
ユウは笑っている。
そして、捜査官に連れられ、部屋を出ていこうとする。
「まってくれ・・・」
俺はユウを引きとめようとした。
「だいじょうぶ、それには何も入っていないわ。」
彼女は振り向くとそう言って、微笑みを残し、部屋を出ていった。
俺は、残った気持ちの波を静めながら、コーヒーの入ったカップを見つめる。
そして、芽生えた感情が自分のものであることに気付きはじめていた。

